吸玉の起源は鍼灸や漢方薬をはじめとする治療法と同様に、はるか上古の時代であろうと言われています。アジアで文献的に確認できるものとしては、インドで紀元前600年頃に記されたスシュタル大医典(講談社東洋医学大辞典)。また中国で1973年に発掘されて話題になった、馬王堆漢墓で発掘された紀元前100年頃の帛書(絹にかかれた書)の「五十二病方」に吸玉(吸角)を意味する「角」という言葉が出てきます。
西洋において、西暦1095年から始まる十字軍の遠征は、当時科学・文化の先進国であったイスラム圏に対する侵略と略奪という側面を持ち、ヨーロッパに様々な科学技術・文化とともに優れた外科技術と、医学として体系化された吸玉の治療法を持ち帰りました。
ラファエロ・ダビンチ・ミケランジェロなどのパトロンとして有名なフィレンチェのメディチ家は、紋章に六つの吸玉を配し(或いは六つの丸薬と中央に一つの吸玉を配し)、その名もメディコ(メディカル)に由来すると言われています。
19世紀まで、ヨーロッパで医学の中核を担ってきた吸玉は、近代医学の発展と、度の過ぎた瀉血の弊害もあり徐々にその地位を奪われ現在に至っています。
「誰にでもできる吸玉療法」 宮本猪八著 より


